第1回 研究報告会 報告要旨
▽日時:1993年4月24日(土)15時〜17時
▽場所:日本女子大学 史学科演習室
@ H.J.ジロマン:中世後期スイスの社会経済史
H.J.Gilomen, Sozial- und Wirtschaftsgeschichte der Schweiz im
Spaetmittelalter.
ジロマンは中世後期の危機の時代を対象として、農村と都市の構造変化を関連づけて最近の研究動向を手際良く紹介している。
まず農村と農業に関しては、経済史上の史料の整理が進んでいることと並んで、アーベルの農業恐慌モデルに対して、地域差を加味して相対化が進められていることが紹介されている。14世紀中葉以降、ペストによる人口減少のために穀物生産は過剰になり、穀物価格が停滞する一方、手工業の賃金と製品価格が上昇したのであるけれども、必ずしも手工業活動への転換が一律に進んだわけではなく、例えばアルプス地域では、穀物栽培が自給を主たる目的としていたために穀物価格の停滞はあまり影響せず、むしろ人口減少のために牧草地を拡大して市場向けの大家畜生産への転換が進んだ。人口の減少は労働力不足をもたらし、聖界俗界の土地領主の中には好条件の占有条件や貢納の減額や身分の上昇を提示して農民の逃散を食い止めようとした。但し、14、15世紀に体僕制が消滅したところもある一方では、反対に体僕制が強化されたところもある。また農村からの逃散は廃村並びに都市への移住をもたらしたのであるけれども、特に大都市への移住は農村だけからではなく、むしろ他の小都市からの移住の方が多かった。さらに領主層の構造変化を指導者集団内部の競合関係や社会全体の構造変化と関連づけることが試みられている。
都市に関しては、これまでのように大都市だけではなく、最近の研究は小都市やアルプス地域の渓谷中心地や農村市場をも対象にしてきている。それとの関連で、かつてシュルテが過大評価したアルプスの峠交通の意義を相対化する動きも見られる。また、都市移住農民が必ずしも手工業の労働力を形成せず、熟練不足のために都市内で貧民化することをも注目している。特に中世後期の全般的危機は社会不安を増大させ、古い価値の動揺をもたらし、異端や魔女裁判や神秘主義の台頭をもたらす一方では、ユダヤ人や高利貸しなどの周縁集団に対する迫害などをもたらしたことが、社会史や心性史の手法を利用して明らかにされつつある。と同時に、エリート研究の一環として、都市に限らず、農村でも指導階層が成立して寡頭制的な傾向が進んだことが、これまで利用されてこなかった史料を利用して明らかにされつつある。
A U.フィスター:プロト工業化
−15世紀から18世紀にかけての工業地域の形成−
U.Pfister, Protoindustrialisierung: Die Herausbildung von Gewerberegionen,
15.- 18. Jahrhundert.
近世における農村での商品生産という事実自体については、スイスの歴史学界も研究蓄
積はありながら、ブラウンによるパイオニアワークを除けば1960年代までは研究蓄積
は乏しかった。70年代以降になり、「プロト工業化」つまり主として家内労働に基づく
輸出指向の商品生産の成長過程に関する研究が輩出した。「プロト工業化」概念の目指す
ところは、濃密な商品生産の地域の成立とダイナミズムを、その組織、農村の経済と社会
に対する関係、人口学的な含意並びに日常の生活形態の範囲での随伴現象並びに相互関連、構造の観点から把握することにある。
現在までの段階の研究成果を整理すれば以下の通りである。
1)手工業の生産の組織形態と空間構造
近世におけるプロト工業的発展の基本特徴は、農村化、大量生産への移行、組織形態
の複雑化にある。
2)地域のプロト工業化のための構造的前提
a)地域的な原料資源 b)企業家的な潜在性(小商人・遍歴商人層・都市商人層)
c)農業構造的要因(粗放的な農業と家内労働の関連、封建領主支配の廃絶と分割相続
、農業への資本投下が少ない牧畜経済と果実栽培、交通上の条件による地域特化)
3)プロト工業化地域における家内経済と人口学
ブラウンは生活基盤の変化(消費需要の増大、余暇文化、結婚模範の変化、個人化)
と結婚年令の低下と人口の増大を指摘している。ミュラーは死亡率の低下と平均寿命の
上昇を指摘している。人口構造上の結論として言えることをまとめれば、
・工業活動の稼ぎが悪い場合には、家内労働は農業基盤に密に結び付く。
・プロト工業活動は、一定の教育、設備、労働空間を必要とする。
・わずかの資本しか必要としないような分野での、高い購入価格は、完全に土地を失
った層の成立を許す。
4)市場空間の保護や独占利子の確保などといったことに関連して、国家や政治との関連
が今後明らかにされていくべきである。