第6回 研究報告会 報告要旨
『高ライン地域の産業革命とスイスの経済構造
−19世紀チューリヒ綿紡績業の分析を中心に−』
報告者 黒澤 隆文
▽日時:1994年3月26日(土)15時30分〜18時30分
▽場所:日本女子大学 文学部史学科演習室
産業革命期のスイス綿工業は、フランスのアルザス地方等とともに一つの工業地帯を形成しており、生産規模で欧州大陸第二位、競争力では首位に立つ重要な存在であった。
植民地物産の流入に伴う全欧的流通再編に刺激されて、スイス北東部には綿工業を主体とする農村家内工業地域が生まれた。これは高ライン地域全域に拡大したが、特にスイス側の地域は、産業革命以前から欧州有数の繊維工業地域となっていた。この過程において特徴的であったのは、カルバンは商人の活動で、全欧的ひろがりを有する流通活動を展開していた。かれらの宗派的紐帯の機能は明瞭であるが、これは19世紀の機械制綿紡績業へと継承された。
19世紀のスイス綿紡績工場の分布は、農村手工業との連続性を有し、チューリヒ州を最大の中心とする。この地域においては、産業革命の担い手は、遠隔地商人や、前貸商人・前貸請負人等であった。彼等により、1798年の革命を契機に機械制綿紡績業の導入が開始された。その過程は、1798年から1817年の工場制成立期、1818年から1820年代末の構造確立期、1830年代以降の成長期、に区分される。機械導入が比較的遅かったにもかかわらず、急速にこれに適応し、1820年代には量的にも質的にも自立して、工場制生産を確立した。その後1850年代には英国に互する強靱な競争力を備え、高級品である細糸生産拠点となった。この過程が国家の保護を一切受けることなく達成されたという事実は、産業革命史上、注目に値する。
初期の綿紡績工場は問屋制との連続性を有していた。他方、資金調達に関する史料は、綿貿易商会との関連の深さを示している。銀行資本については、高ライン地域ではバーゼル商人の存在が重要であるが、これらはいずれも広域的な流通機構が産業革命において果たした機能を示す。次に技術と競争力について分析すると、スイスでは、高度な技術水準にもかかわらず19世紀末に至るまで水力依存であった。しかし高度な競争力は技術的要因のみでは説明しえない。競争力要因として重要なのは原綿調達を独力で行い得た流通支配力であった。
高ライン地域においては綿紡績工業部門の重要性は決定的であって、この部門における工場制の確立をもって産業革命としうるが、その時期は1798年から1820年代末と考えられる。空間的には、高ライン地域の工業活動は18世紀までスイス北東部を中心としていたが、フランスの国内産業保護政策とスイスとの地続き効果により、アルザスにもスイス北東部とほぼ同規模の綿工業地帯が形成された。またバーデン南部、フォアアルベルクは、スイス企業家の投資によって工業化を達成した。従って産業革命の空間的範囲は、「高ライン原経済圏」である。スイス連邦政府の成立は、これら地域経済を否定するものではなく、複数の原経済圏と都市圏とを緩やかな政治的統合のもとに結合させたのである。