第10回  研究報告会 報告要旨

『 プロト工業期に生きた人々・労働・日常生活
−18世紀末〜19世紀初頭スイス東部*の綿工業を中心に−』

報告者 佐藤逸子


▽日時:1994年2月18日(土)15時40分〜18時30分

▽場所:日本女子大学 文学部史学科演習室


 プロト工業化モデルは18Cから19C初頭の産業革命に先行する農村工業の展開期を照準に合わせている。都市ザンクト・ガレンの麻織物工業の後背地として出発した半カントン・アペンツェルアウサーローデン(以下ARと略記)はヨーロッパ大陸で最有力の農村綿工業地帯の1つであり、プロト工業化の典型的に進んだ地域となった。
 そして、18C末ARは綿工業の「黄金期」を迎えるが、イギリスをはじめとする世界各国との市場での競争の激化、さらに諸国の一層強化された保護関税政策により、市場での立場は苦境に立たされる。この状況にたいしてARの繊維工業はチューリヒのオーバーランドで生じたような、工場制手工業へ移行する道を辿らなかった。その理由として、ARでは、手刺繍産業から発展した高級手刺繍業・手動式機械制刺繍業・フラット・ステッチ織・篩絹という多部門への「専業化」により、市場で生き延びる戦略が取られたことが挙げられる。
 ARは1857年の世界恐慌以降、工場制工業へ向かったが、綿工業の後続産業となった刺繍業では、19C半ば、部分的には第1次世界大戦以降までも自動式機械制刺繍産業と並存するかたちで家内工業が存続し続けた。したがって、ARは農村織布業が一時的に拡大し、その後衰退するという、「田園化」の道を辿った後、刺繍やレースなどの近代的家内工業へ転換し、この形態が生き延びた事例であると結論づけることができると言えよう。
 ところでARの綿工業興隆期は、世界を跨に掛ける−ヨーロッパ大陸諸国全域、間接的にはアメリカ大陸のスペイン植民地や西インド諸島のフランス領にまで達する−伝統的な商家出身の大商人・大問屋(この中には小規模な問屋から上昇した者も含める)のみならず、中・下層民にも経済的社会的上昇のチャンスを与えた。零細な問屋が続々と発生したが、成功は収め難かった。それは、農村に活動の拠点を置く零細な問屋たちが都市の大商人・大問屋とは異なり、商業の経験や専門知識が欠如していたことと、彼らが農村家内工業従事者と同様、資本主義に馴染み切っていない思考様式を有していたことにある。
 ARの綿工業は、地域外・あるいは海外市場向けの農村工業であり、鳥瞰的に見ると資本主義的世界体制に完全に組み込まれていた。しかし、生産機構の末端部に位置し、実際の商品製造に携わっていた第1次生産者の心性には、(貨幣経済が浸透し続けているにもかかわらず)いまだ「民衆的伝統思考」が浸透し、それが家内工業者独自の価値観・行動様式を生み出すのである。すなわち、資本主義システム中での前資本主義的思考様式の存続という懸隔は、ARの綿工業が「プロト工業化」論の特徴の1つ−農村に立地する家内工業−という形態を取っていたことに発しているといえよう。

*スイス東部・・・Albert Tanner はスイス東部をボーデン湖南部の前アルプス地方に立地するカントン・ザンクトガレン、カントン・トゥールガウ、半カントン・アペンツェルアウサーローデンとインナーローデンと規定しており、本稿ではその設定に従った。