第11回  研究報告会 報告要旨

ドイツ農民戦争期における農奴制問題に関するスイス盟約者団の政策について

報告者 野々瀬 浩司


▽日時:1995年4月8日(土)15時〜
▽場所:日本女子大学 文学部史学科演習室


 農民戦争期の農奴制の問題について学説史を整理した結果、以下のような四つの点が特に問題となると思われる。第一は、農奴制の経済的意味についての議論である。具体的には、農奴制から派生した諸負担の経済的重さ、さらには、農業危機と農奴制強化との関係である。第二に、初期近代国家の形成において農奴制が果たした役割についてである。第三に、農民戦争期の反農奴制を掲げた農民たちの要求の思想的背景、特に、宗教改革の神学が農奴制に関わる農民たちの「神の法」思想にどのような影響を及ぼしたのかについてである。第四に、LeibeigenschaftとEigenschaft二つの言葉を区別する事の有効性についてである。これらすべての疑問点に答えることは私の能力を越えた作業であるがゆえに、今回は特に近代国家形成の問題との関わりを中心に考察することにした。その際、Landes-herrschaftとしての都市国家領、修道院領、貴族領についての研究は、C.ウルプリヒ、W.ミュラー、P.ブリックレらによって今まで多くなされてきたが、政治的な組織としてはそれより一次元上位のスイス盟約者団のレベルでの問題を考えて、農奴制の問題のみならず、当時のスイス盟約者団という当時形成されつつあったある種の同盟国家としての実態にも迫ることを目的とした。

 ところで、農民戦争期に農奴制問題でスイス盟約者団に仲裁を依頼した地域は、印刷された史料と古文書を含めて、私が調べた限りでは、バーゼル、オーバーエルザス・ズントガウ、トゥルガウ、ザンクト・ガレンの四地域のみであった。その四つの地域それぞれにおける農民戦争期以前の農奴制に関わる諸問題の社会的構造と抗議書がスイス盟約者団に提出された際の時代的歴史的状況、さらには、それに対するスイス盟約者団の対応に関して分析を試みた結果、全体的な傾向として以下のような事実が確認された。

(1)スイス盟約者団は、農民たちの要求のうち28.8%に対して有利な裁定を下し、32.7%のものには部分的な勝訴、23.1%には完全な敗訴、さらに、残りの15.4%の要求には、判決を引き延ばしたり、態度を保留したままだった。また、その裁定を下す   際に、スイス盟約者団は、問題を解決するための明確な政治的理念やイデオロギーを持っていなかったように思われる。

 (2)さらに、項目別にみると、スイス盟約者団は、異ゲノッセ婚、死亡税、賦役に対しては、農民にとって相対的に寛容な仲裁決定を下している。

 (3)それに対して、農奴制の廃棄の要求、農奴承認料(Leibhuhn)に関しては極めて保守的な対応、つまり、領主側に有利な仲裁を行っている。

 (4)判決の根拠に「古き法」と法文書を用いることは若干あっても、「神の法」を引用することはほとんどない。

 (5)特にスイス盟約者団は、農奴解放金の支払いを勧めている。その上、解放金の金額について領主との間で紛糾が生じた場合、自ら仲介にはいる意思があることをも表明している。

 (6)最後の点として、スイス盟約者団は、オーストリアに対する配慮が多分にみられる。

 以上が、考察の暫時的な成果であるが、今後はそれぞれの地域の社会・政治・経済・神学的背景をさらに詳細に抽出し、スイス盟約者団の農奴制に関する対応の全般的な傾向をより一層明瞭化してみたいと思っている。