第21 回  研究報告会 報告要旨


『工業化、食糧危機と社会運動 −チューリヒにおける初期社会主義運動成立の社会背景』

報告者  渡辺 孝次


▽日時:1998年1月24日(土)14時15分〜18時
▽場所:日本女子大学 文学部史学科共同演習室


0.1848革命前夜のヨーロッパに共通する「社会問題」の発生と初期社会主義運動の
成立という観点から、三月前期のチューリヒの歴史を考察した。

1.まず、当時のチューリヒの状況を社会経済史的に分析した。骨子は、次のようで
ある。

1)とくに下層民の間に、食生活をジャガイモに依存する構造ができあがっていた。
ところが、1845年から2年間続いた「立ち枯れ病」が庶民の台所を直撃した。

2)繊維工業の発達の歴史を、a綿紡績工業(工場制)、b綿織物工業(前貸し問屋制家内工業)、c絹織物工業(同)に分けて考察した。その結果、a:カントン・チューリヒでは工場の都市集中現象が見られないこと(理由は水力利用)。b:イギリスの力織機との競争により、手織りに頼る綿織物工業は明白な技術的ハンディを負っていたこと。c:絹織物業界では、織機の機械化はまだ英仏いずれでも実現しておらず、ハンディは存在しなかったこと。また地理的には、チューリヒ市を含む湖畔地域が有利な絹織物に従事し、他方時代からとり残された観のある手織りの綿織物工業はオーバーラント地方を拠点としていたこと、などを明らかにした。

3)手工業者層の窮乏化も、当時の社会問題に関する言説のなかでは重要な要素である。しかし、工場労働者や家内労働者と比べれば、彼らの境遇は労働者のなかでは悪くなかったことを説明した。とはいえ、かつての栄光を失いつつあったことや、「工場」との競合関係にあった被服関係の業種では窮乏化と呼びうる事態が進んでいたのも事実である。

2.ついで当時のチューリヒの、政治史・法制史的な側面を考察した。骨子のみを挙げると、

1)パリの七月革命に影響を受けた再生運動Regenerationにより、1831年に自由主義的な憲法と体制が成立した。

2)しかし、この時成立した政府が代表するのは首都チューリヒ市(自由派)と富裕な湖畔地方など(急進派)だけであったため、代表されなかった地方で「農村の反乱」が続出した。その1が32年のウスター焼討ち事件であり、第2が34年のシュターデル事件であり、集大成が39年の「9月革命」であった。こうした動きによって自由主義急進派の指導権は脅かされたが、40年代の中頃には再び支配的になった。

3.食糧危機でもっとも大きな被害を受け、技術的ハンディのため構造的な経済問題に陥っており、政治的代弁者を持たないので「9月革命」の担い手となった地方、これこそが当時のオーバーラント地方の姿であった。1845年秋に成立をみた初期社会主義運動が、この地方を救済の主対象とみなしたのは自然であったといえよう。しかし、運動の主体をなすのはオーバーラント地方の綿手織り工であるよりは、むしろチューリヒ市の手工業者たちであった。このように、初期労働運動にみられる対象と担い手のズレ(救済対象は工場労働者などだが、担い手は手工業者が中心という問題)はチューリヒの事例でも認められるが、報告でこの点に立ち入ることはできず、今後に持ち越した。