[第26回]

「托鉢修道会と都市バーゼル」

報告者  香田 芳樹


▽日時:1999年3月13日(土)14時10分〜17時25分
▽場所:日本女子大学文学部 史学科第四演習室


  バーゼル市には1230年代からフランシスコ会とドミニコ会が、1270年にはいるとアウグスティヌス隠棲修道会が修道院を建設し、布教活動を行った。これはヨーロッパ全土に急速に勢力を伸ばしていく托鉢修道会の動きに呼応している。今回の発表ではまず、前半で托鉢修道会の組織上の特性を概観し、教団が教会史の中でa)教会改革、b)修道女教育、c)異端討伐、d)神学研究といった機能を果たしたことを指摘した。しかし、「13世紀は托鉢修道会の時代」と呼ばれるほどの急速な進歩は、教団の熱意だけで実現したわけではなく、彼らを必要とした時代の要求にもよるものでもある。13世紀に都市が台頭し、それまでの宗教的・世俗的権力と並ぶ市民社会が成立するに至って、都市内部で起こる様々な社会問題の解決者として托鉢修道士が市民によって彼らの生活圏に積極的に招き入れられたのである。新しい政治と経済生活の中で生じる価値観の変化は、新しい道徳観と宗教観を必然的に形成し、それにそって都市市民の精神生活に指針を与える助言者として托鉢修道士は従来の教区教会に代わる役割を担うことになった。彼らはその点で、シトー派やベネディクト派とは違い都市と共生する修道会であるといえる。しかし、都市内部に突然出現した新参者は当然のことながら、既存の世俗聖職者たちと衝突する。また、経済活動の只中で活動することで、創設の本来の目的である「使徒的生活」の理念も変化を被らざるをえなかった。

 発表の後半では、托鉢修道会の一般的特性がバーゼル市では具体的にどのように現象していたのかを、Bernhard Neidiger, Mendikanten zwischen Ordensideal und staedtischer Realitaet, Berlin 1981を使って紹介した。バーゼルに拠点をおいた托鉢修道士の場合、特徴的なことは、彼らを招聘したのが司教Heinrich von Thunであり、また、市議会であった点である。教皇直属の宗教集団として、このことは他の都市には見ることが出来ない特殊な初期段階であるといえる。フランシスコ会もドミニコ会もまず市壁の外側に都市提供を受け、その後市内に移っているが、これは世俗聖職者との摩擦を恐れたからであろう。伝道に必要な教会建設のための資金源として最大のものは平信徒の布施であり、托鉢修道会は信者獲得を巡って教区教会と対立することが多かったからである。バーゼル市でも1240年代から市内での活動権を巡って修道士と聖職者の間では裁判沙汰が多発し、これは14/15世紀まで続いている。ま
た、修道士の「清貧の理想」を巡って教団内部での論争もあった。その際、理論的根拠として、所有の定義、共有の定義、またdominium(蓄財)とusufructus(善用)の区別を明確にし、資金調達を合法化することが求められていたことを紹介した。