[第28回]

「都市景観図に見るバーゼルの変遷」

報告者  佐藤 るみ子


▽日時:1999年10月2日(土)14時15分〜17時15分
▽場所:日本女子大学文学部 史学科共同演習室


 歴史史料には、記述されたものと図版という描かれたものがある。このうち図版は、文書史料に付随した挿し絵の場合が多い。テーマを都市に限定すると、14世紀後半以降流行し始める、各都市の年代記が好例である。その図は同時代的に描写されたものとして、視覚上重要な情報源となり得る。但し,文書史料と異なり,随時変化を追って描かれたわけではなく,時間的に限定されることに留意する必要はある。

 スイスでは15世紀から16世紀初頭にかけて、主要都市に都市年代記が存在する。その中でも,ベルンやルツェルンのシリングのものは絵入り年代記として,多くの情報を提供している。しかし,シリングの都市情景図は文書史料を補足するもので、都市全体を概観してはいない。当時の著名な画家の作品も、都市全体ではなく部分図で,その風景を聖書の世界に置き換えたものが多く見られる。一方で,ドイツ人シェーデルのニュルンベルク世界年代記のように,都市を側面から描写した一種の景観図もあり,趣を異にするものも存在する。アルプス以北にもイタリア・ルネサンスの影響が浸透し,独自の文化として発展してくると,描写技法はもとより,さまざまな変化が見られるようになる。都市のいわば肖像画として、都市景観図は独立した装飾的性格を有すようになり、権威的表象としても扱われてくる。また都市図はより正確な都市構造を知る手がかりとして、当時の市政担当者にも、重要な資料と考えられるようになる。

 バーゼルを例に見ると、ここは16世紀末まで、いわゆる自市を網羅した年代記は存在しない。そのため都市図については、他の都市年代記に依拠することになる。幸い旅行記の中に、当市に関する都市図に匹敵する描写を見つけることができる。ところで、当市はアルプスとライン川に挟まれた地域としては、唯一大学が存在する。それ故に、知識人の来訪が相次ぎ、新しい息吹を育んできた。都市図との関係でゆくと、まずドイツ人ヘブライ語教師セバスティアン・ミュンスターがいる。彼は1529年にバーゼル大学に招聘される以前から、一部のドイツ都市の地誌図製作を行っていた。バーゼルについても測量を行い、初めて都市全体を鳥瞰的に捉えた図を完成させる。そして自ら執筆出版した『地誌図』(1544年)に掲載したが、後にはこれがバーゼル人の手になる年代記(1580年)にも採用される。この鳥瞰図は、既存の絵入り年代記と異なり、都市内部全体の配置を外観的に現している。つまり、上述の旅行記などの記述史料だけでは知り得ない、構造物の位置確認などが可能である。例えば、市域の周囲以外に内側にもう一つ市壁がまだ存在し、この二重の市壁が当時、どの位置関係にあったかを窺い知ることができるのである。

 鳥瞰図というものが登場してくる背景には、技術・学問の進展と描写方法の変化がある。それは測量という実践、遠近法という透し図画法と幾何学の合体である。またイタリアで盛んになりつつあった、都市の美化や都市再建の動きの中で、都市を視覚的にどう印象付けるかも、その要因の一つとなる。さらに大型銃器の登場と、これに対処する防御施設拡充の必要性もあげられる。このように都市の平面図や、これを立体化した景観図への需要の高まりなど、さまざまな理由から新しい都市図が生まれたと言えよう。

 この時代の要求に則った画法を取り入れた画家として、バーゼルのマテウス・メリアンがあげられる。彼はバーゼルだけでなく、ヨーロッパの多くの都市鳥瞰図を製作出版し、その画風は独特なものがある。同じ鳥瞰図でも、ミュンスターとは描かれた内容・技法に相違がある。ミュンスターは測量を基に描いたとはいえ、図そのものからはあまり正確さは感じられない。これに対しメリアンのものは、実に緻密に描かれ、17世紀のバーゼルを知る上で、貴重な史料とされている。例えば、道路幅を実寸より広く描き、あらゆる建造物や、給水施設の主要設置場所など、都市生活の様相を詳細に描写していることである。両者の間には約半世紀という時間が経過しており、前述の市壁については、歴然とその変化を見ることができる。メリアンの1615年の図にはもはや内側の市壁は存在せず、市壁にある塔の形や高さにも変化が確認できる。塔は、大型銃器の標的となる上部が撤去されている。また市壁の外側の壕の形も異なり、こうした防御施設の改善については、文書史料の実施状況を視覚的に追認できる。他にも、当市の象徴でもある大聖堂のテラスに植樹された菩提樹の成長の足跡、個々の建造物の装飾や構造の変化などがあげられる。ミュンスターの図は数が限られるが、メリアンは鳥瞰図も含め、スケッチ画など部分図も多数ある。これらは短期間に製作され、微妙な都市内部の変化の足跡を垣間見ることができ、興味深い。

 ところで、ここに紹介した二人以外にも、バーゼルには都市図製作に携わった人物がいる。一人は市参事会の壁画や大聖堂の祭壇画、そして肖像画で有名なハンス・ボックである。彼は測量技術の面で貢献したとされ、その測量結果に基づき、メリアンが作図したとも言われる。ボックは上述の二人と異なり、バーゼル市当局の領土確定作業の一環として、測量・作図を担当している。メリアンも市当局の依頼で鳥瞰図を描いたが、目的は異なるようだ。17世紀後半には、測量技師のマイヤー父子が知られているが、彼らの仕事は市の政策に則ったもので、時代的にも軍事的性格が強い。それ故に、彼らの図は公刊されていない。

 いずれにしても、都市図は15世紀以降の画法の変化で、より具体性を伴う視覚史料となっている。たしかにミュンスター、メリアンの都市図は、尺度的な正確さは期待できないし、領土上の変化もわからない。それでも、バーゼルの市壁内部を中心とした生活の実態や、変化を確認する上で重要であり、こうした都市図の持つ意義は大きいと言えよう。