[第29回]

「1999年の新連邦憲法について」

報告者  関根 照彦


▽日時:2000年1月29日(土)14時10分〜17時55分
▽場所:日本女子大学文学部 史学科共同演習室


 「1999年の新連邦憲法について」

 1874年の旧スイス連邦憲法は、1848年憲法に全面改正を施した19世紀的憲法であり、国家・社会情勢の大きく変化した20世紀末の現在、全面改正の必要に迫られていた。たとえば、旧憲法は、1874年以来140回以上の部分改正を経た結果、体系性が失われ、憲法全体の見通しが非常に困難になっていた。本来なら法律に規定されるべき多くの事柄が憲法に規定されていた一方、連邦裁判所の重要判決の成果やスイスを拘束する国際法の多くの重要規範は不文憲法として放置され、規範化されていなかった。

 1874年憲法の全面改正作業は、オプレヒト議員・デューレンマット議員による改正動議により開始された(1965年)。作業は、1967年〜73年のヴァーレン委員会、1974年〜77年のフルグラー委員会、1978年〜79年の意見聴取手続き、1985年の司法・警察省によるモデル草案作成という過程で進行した。そして、1987年を境に第二段階に突入した。その後、作業はEWR問題のため一時中断されたが、「1998年までに憲法草案を完成する」ことを求めたマイヤー議員の動議を機に再開され、法務省草案(1995年)、95年草案に対する意見聴取手続き・国民討論(1995年〜96年)、政府草案(1996年)、議会審議(1997年〜98年)を経て、1999年4月18日の国民投票でひとまず終結した。

 1999年の国民投票では「改訂連邦憲法」(nachgefuehrte Bundesverfassung)が可決された。それは、1874年憲法を「改訂し、容易に記述し、システマティクに整序し、条文の濃淡と用語を統一する」という方針に基づいて改正したものだった。
改訂連邦憲法の特色は以下の点に見ることができた。用語の現代化・平易化・中性用語の使用。体系性が回復し、憲法全体の見通しが容易になった。条文の初めに理解しやすく分類されたタイトルが付された。(自由権などのような)憲法の欠落した部分が補われた。法律に規定されていた重要事項が憲法規範化され、非重要事項が憲法から取り除かれた。最高裁判決・実務・国際法における不文憲法が成文化された。幅広い
コンセンサスを得た事項については、「改訂」の域を越えた改革を実現した。等など。

 1999年の全面改正は、「開かれた全面改正」作業の一環と理解され、西暦2000年以降も、残された重要課題解決のため、更なる改正(国民投票)が予定されている。