[第34回]

スイスにおける国家と社会−スイスの中立をめぐって−

報告者  宮下 啓三


▽日時:2001年6月16日(土)14時10分〜17時50分
▽ 場所:慶應義塾大学三田キャンパス 「旧図書館」2階小会議室



 スイスとオーストリアを含めたドイツ語の文化圏の文学という意味でのドイツ文学を専門の分野に選んだ私は、同時に山登りを余暇の楽しみの一つとする者であったので、18世紀前半にベルン出身のハラーが作った『アルプスの山々』のレクラム文庫版をポケットにしのばせて、いずれの日にかこれを日本語に訳そうと思いながら、留学先の西ドイツに向かった。1965年秋のことだった。春休み中に最初のスイス訪問の時には念願のアルプス詣でをはたせて嬉しかった。そして、その年の夏に、私より2歳年上で新進作家となったばかりのスイス人(アドルフ・ムシュク)の誘いを受けて、彼とともにスイス西南部の、フランス語圏の高原のシャレ(山小屋風の別荘)で一夏を過ごすことになった。留学地であったゲッティンゲン大学はハラーが博物学の教授の地位にあったところでもあったから、それを因縁に感じて私の思いは、出発の時点では、山々にばかり向けられていた。友人の車に便乗してドイツからスイスに入って間もなく、小休止のために寄ったカフェで私のスイス観が大きく変わった。そこで目にしたスイスの新聞に、第一次世界大戦がスイス崩壊の危険を秘めていたという内容の文章があった。チューリヒの連邦立工科大学の教授であるカール・シュミートの寄稿だった。中立のおかげで二度の世界大戦を無傷で過ごせたとばかり思い込んでいた私のスイス観が根底から揺らいだ。呑気な山登りを楽しむつもりでいた私は、この衝撃に知的好奇心を触発されて、チューリヒで戦時中のスイスについての書物を新旧取り混ぜて購入した。高原での一ヵ月の生活の間、晴れた日に山に登り、雨と霧の日に読書してノートを作った。帰国後に書き上げたのが私の最初の単行本となる『中立をまもる』だった。戦後の20年間ずっと中立がスイスを守ったと思いこまされていた私は「スイスが中立を守った」のであり「中立を維持するために多大の苦心と苦労をした」という思いを抱くようになっていた。これ以来、私は学術的研究という意識をもたずに、主としてスイスについての啓蒙を心掛けていろいろな機会に著作をおこなってきた。やがて戦後の日本でいくつかの政党がかかげた日本中立化のスローガンがいつの間にか消え失せた。各政党が公然の討議をしないまま「中立」の文字が公約から自然消滅したのは、きわめて日本的な政治現象だった。この消滅の経緯をこそ、歴史学者が今のうちに資料を集めて研究しておくべきではないか、と私は思う。

 スイス史研究会での報告の席で私は日本での中立の論議にふれた。非武装中立論など、日本人の観念的な議論の実例を紹介した。スイス建国700年の年に単行本として出版された本の中で「北海道をスイスのように独立させてしまったらどうだろうか」という主張をした人物がいる。北海道を中立化すれば経済的利得が期待できる、という純粋に利益追求の思いつきは、戦後日本のスイスとその中立をめぐる論議が政治と倫理の次元から抜け出したことを証明すると同時に、中立の国際的承認といった手続き論を度外視するお手軽で無責任な言い方をする人物が言論界で大手をふっていることに私は義憤をさえ感じる。この恐るべき主張を述べ立てた人の名は大前研一である。一方、1968年に出版されていながら、まったく反響を得られずにいたのがドイツ系の哲学を研究していた高山岩男の『国際的中立の研究』であって、国際的な環境の現実が中立を困難なものとしていることを述べて、たいそう良質なスイス中立についての知見を披露していた。この書物が日本のスイス史研究者たちの文献で言及された例を私は知らない。私見では、非武装中立を唱える野党陣営を支持した左翼文化人の理想主義的中立論に対して、やや保守反動の思想的立場にあると思えて私が敬遠していた高山だが、スイス中立に関する見解は客観的に見て穏当である。20世紀の日本、とりわけ20世紀後半の日本におけるスイス中立についての議論の歴史を系統的に顧みることが、真剣におこなわれてよいのではないか、との思いを私はいっそう強く抱く。実利にさとい功利主義的評論家が荒唐無稽な北海道のスイス化を唱え、他方、ドイツ観念論哲学を専門としていたはずの哲学者がもっとも現実主義的な分析と考察をおこなっていたという事実は、スイスとその中立の問題の、日本における受けとめられ方の両極端を示す。

 以上のような個人的な体験とその後の著述活動を回想しながら、私は現在の日本で議論の的になっている教科書問題を念頭において、スイスの初等中等教育レベルの歴史教科書(または副教材)での中立に関係する時代の記述の実例を(もっとも簡単なものと、もっとも詳細なものとを選んで)会員たちに示して感想を徴することにした。1991年の建国700年の式典会場に身をおく機会をもった者として、「スイスとヨーロッパ」の関係を語る歴史がこれからいっそう重要性を帯びることになる、との思いをいっそう強く感じる。      

(2001年6月のスイス史研究会での報告を回顧しつつ記す)