[第35回]

ドイツ語圏スイスにおける言語状況

報告者 伊藤 道子


▽日時:2001年10月27日(土)14時15分〜17時55分
▽ 場所:日本女子大学 「百年館」7階 史学科中央研究室



本発表では、ドイツ語圏スイスの現在の状況の概観と理論的解明のために、スイス連邦全体での言語問題を概観し、ドイツ語圏スイスの言語状況の社会言語学的に検討し、ドイツ語圏スイスの代表都市としてのチューリヒの例について考察を加えた。

ドイツ語はスイスの公用語・国語であり、最も多くの人が用い、最も大きい面積で使用されている言語であり、消滅する危険のあるような「少数言語」ではない。しかし、その内実を詳しく見ていくと、さまざまな問題があることがわかる。ドイツ語圏スイスでは「話し言葉」と「書き言葉」が大きく異なったものである。しかもドイツ語圏スイスで、おもに「話し言葉」として使用されている「ドイツ語」には、統一的な「スイスドイツ語」といえるものがあるわけではない。スイスはEUへの加盟を国民投票で何度も否決している。こうしたことから、「ひとつのヨーロッパ」という理念はスイスになじむものではなく、スイスが多様性を尊び、これからもこうした考えに則っていくであろうことが伺える。

スイスの言語状況は、実は問題が生じてもおかしくないようなものでありながら、連邦のレベルでも、ドイツ語圏スイスでも現在にいたっても、大変「平和的」な状況である。本発表では、スイスの言語状況が今日に至っても、他地域のような言語紛争に陥らず「平和的」である理由を、スイスの国家としての成り立ちと、20世紀のドイツ語圏スイスにおける言語維持運動に求め、アンダーソン(「想像の共同体」1983)のナショナリズム論を参考としながら探っていった。アンダーソンはスイスにおけるナショナリズムの最終的形成において、どのような帰結を持ったのかという問いに対する答えを、19世紀になってやっと国家としての形が整ったという「スイス国家の若さ」と第二次世界大戦まで圧倒的に田舎の、英国の半分の生活水準しかない貧しい国だった「スイスの後進性」に求めた上で、ドイツ語圏スイスの人々がドイツ語をスイスの他の言語圏の人々に押し付けず、「ドイツ語個人言語」を保持してきたことを、「特殊なスイスナショナリズム」として評価している。そして、アンダーソンによればこの「特殊なナショナリズム」は現在でも効力を持ち続け、ドイツ語圏スイス人は、日常言語としての「スイスドイツ語」と「遅れて」ではあるが、その後に到来した「出版資本主義と標準化された近代教育」には「標準ドイツ語」を使い分け続けているのである。他のヨーロッパ大国でとられていたような「一言語ナショナリズム」とスイスとはいずれにしてもなじむことはなかったようである。
さらに、1930年代に起こった言語維持運動とその中で策定された表記法Dieth-Schreibungは、「方言間の合意」(Interdialektaler Konsensus)を基本方針として、ドイツ語圏スイスの地域方言共同体がお互いに独自性を認め合うこと、違っている点を認めた上で生活を営んでい
くことを重要視したものであった。そして、そうした「合意」を他の言語圏の人々とも培って保持していくことで、スイスとしてのまとまりを維持しようとしたのであった。「方言間合意」という基本方針の一致に至るさいに、ドイツ語圏スイス人一人一人が、それぞれの自らの地域方言を「書かれた文字の姿」として認識することで、ドイツとの距離を再認識することが必要であると考えられたのである。Dieth-Schreibungは一般の人々に使ってほしいという考えから、普通のタイプライターで打てるように構成されており、そのため現在でも依拠するに足る表記法としてさまざまな分野で使用されている。

また、社会言語学でダイグロシアと呼ばれるドイツ語圏スイスの言語事情について、Ferguson(1959)を再検討し、ドイツ語圏スイスの独自性や、その問題点に関しても考察した。このさいに、学校教育の現場や、テレビ・ラジオ・新聞などを例にとって考察した。学校教育とメディアという「言語」が不可欠な要素となる人間活動のあらわれを考察することによって、ドイツ語圏スイスの言語状況がわかりやすい形で見えてきた。また、標準ドイツ語を習得することはあくまでも「言語獲得の調整」であって、「外国語習得」ではない、と学校教育で位置づけられている。また、方言であるスイスドイツ語がその使用域を近年さらに広げてきている。しかし、それは決して標準ドイツ語の習得を放棄しようというものではなく、標準ドイツ語を完璧に近いかたちで使用できる能力を持った上で、自分の意思でスイスドイツ語を使っていこうとしているということだと、考えられる。将来的に、どんなにスイスドイツ語が使用域を広げようとも、学校教育の現場で公式に「標準ドイツ語は外国語である。」となることはないであろう。ドイツ語圏スイス人は、このダイグロシアの中で個々人の多様性を容認し、標準ドイツ語の「規範」を身につけつつも、「記述」に徹したスイスドイツ語の世界を保持し続けると考えられる。

以上のように、本論文では、ドイツ語圏スイスの言語状況を、スイス連邦レベルでの言語問題、ドイツ語圏スイスの言語状況の社会学的検、ドイツ語圏スイスの代表都市としてのチューリヒの例を検討し、スイス国家の成り立ちや、ナショナリズムの視座からも論述した。さらに、「ドイツ語圏スイス」のダイグロシア的状況をも再検討した。以上の検討によって、ドイツ語圏スイスの言語状況の解明が進み、さらに言語の多様性を容認するスイス・ナショナリズムの存在が確認された。この点はアンダーソンによって、既に指摘されていたことではあるが、本発表ではドイツ語圏スイスを特に例にとった検証で、このナショナリズムのあり方に強い根拠を与えた。

最後に「スイスドイツ語」が単一の概念に収斂することはありうるか。またありうるとしたら、どのようなものになるかということについて考えるためには、経済的な首都であり、スイスドイツ語の維持運動の前線ともいえるチューリヒにおける言語状況を観察していくことが必要であろう。今すぐに急激な変化が起こるということはないであろうが、今後の課題として考察を続けたい。