[第36回]

「スイスにおける国家と社会――都市邦バーゼルにおけるアムト統治――」

報告者 森 崇浩


▽日時:2001年12月15日(土)14時10分〜17時10分
▽場所:日本女子大学 「百年館」7階 史学科マシン室1(教室番号717)



 中世後期には有力な帝国都市・自由都市が所領や城砦ないし種々の支配権を獲得し、「集合的領主」として領域支配を行った。15世紀以降の領邦君主権強化に伴って、帝国内の多くの帝国都市・ラント都市が衰退するなか、有力なスイス都市は盟約邦相互の同盟関係を通じて上位権力を排除し、かつ周辺の聖俗の領主権と小都市、農村地域を自らの支配に組み込んで、自らを支配者とする「都市邦」を形成した。本報告では、15世紀初頭から独自の領域を形成したバーゼル市を対象に、当市の統治構造をアムト(管区)統治という観点から捉えなおすことを試みた。
考察は小都市を中核とするアムト・リースタールを対象とし、政庁都市リースタールとアムト内村落フレンケンドルフについて行う。なお史料として、1611年の都市邦条令の原型となったリースタール都市法(1411年:1506年に改正)と、アムト内の村落フレンケンドルフの村法(1425年:裁判集会のための覚書)を使用する。

 リースタール市は、1230年頃シスガウ方伯フローブルク家により都市へと昇格し、1305年以降も新領主バーゼル司教の財政難に乗じて、市壁内での高級裁判権、市場開催、関税免除など様々な特権を享受した。1381年以降は都市参事会も設置され独自の印章を使用するなど、バーゼル市の獲得以前にすでに一定の自律性を有する都市へと成長していた。(1497年の住民数:リースタール市 約500名、領域全体 約3000名)
 1400年にバーゼル市がリースタール市を抵当として獲得すると、同市を中心に同名のアムトが設置された。同市は従来の裁判上、経済的特権と法人格を剥奪され、またシュルトハイスと都市参事会員の選出法が変更され、アムト政庁都市へと格下げされた。また従来の慣習法のの制度化や共同体の統治への関与の制限により、バーゼル市は次第に統治の実効性を高めていった。1411年にバーゼル市当局が公布したリースタール都市法は、在地の慣習とバーゼル市の統制との妥協点と位置付けられる。以下にその特徴を述べる。
 1.フェーデの制限・裁判の義務付け
 紛争を当事者間で交渉しその結果フェーデに発展する場合(17条)に、バーゼル市はいずれかの当事者が裁判区外へと離脱し紛争を回避する「習慣」を制限し、両当事者に帰還してリースタールのシュルトハイス裁判所に訴えることを義務付けている。この他にも示談(18条)など当事者間での解決を排除することにより、慣習法を切り崩そうとするバーゼル市の姿勢が読み取れる。
 2.殺人を含む刑事事件
 殺人、挑戦、家宅侵入、傷害などの違法行為のうち、職権訴追は殺人(20条)で初めて認められた。家宅侵入(27条)の場合正当防衛が認められるなど家父長権は強固であるものの、公共の平和に対する当局の監督権が窺える。
 3.体僕領主権
 異ゲノッセ間の婚姻(9条)は当初厳しく制限されていたが、1506年の改正により通婚範囲が人的団体(ゲノッセ)から領域概念(ヘルシャフト)へと拡大された。また同時に獲得以前の保有関係を反映した13、14条の保有地移転条項が削除され、従来の荘園支配の寄せ集めから一円的領域支配への移行が窺える。
 4.シュルトハイスの管轄
 債務訴訟(29、30条)をはじめとする民事事件は司教の下にある裁判区のアムトマンが管轄しており、シュルトハイスは差し押さえ拒否の場合に贖罪金を得るに留まっている。また家宅侵入(27条)を受けた被害者は「自らの領主」に訴えることが出来、外部の領主権の介入を許す余地が残されている。

 5.共同体の立法権
 リースタール市の共同体は4つのアイヌンク団体(各々一名のマイスターを持つ)に分割されており、共有地と耕地の利用は各アイヌンク団体内部で決定されていた。土地利用に限定されていたとはいえ、バーゼル市は共同体の合意を取り込むことで円滑な統治を可能にしたと考
えられる。
 このように統治初期には、制度化されたとはいえ統治の基本法はいまだ在地の慣習を継承し、外部の領主権や在地の共同体など内外から制限を受けていた。しかしバーゼル市の意図自体は、刑事裁判権、体僕領主権を根拠にリースタール市全域を領域的に支配しようとする画期的なも
のであり、近世的領域支配のスタート地点に着いたといえる。

 バーゼル市はまた、シュルトハイスを通じてアムト内の村落に対しても支配権を行使した。
フレンケンドルフ村法からは、以下の三点が浮かび上がる。
1) バーゼル市当局→リースタールのシュルトハイスと都市参事会→フォークト→誓約衆という委任連関が形成されていた。
2) 村落の裁判集会はシュルトハイスの管理下にあり、前述の都市法が適用された。
3) 村落住民がリースタール市当局に対して臣従誓約をなし、租税や賦役、軍役の義務を4) 負うなど、シュルトハイスは裁判権のみならず体僕領主権を行使している。
 他方リースタールの市壁に接する領主領・市民領が1607年までの間税制上・裁判上の諸特権を保持しており、アムト統治を閉鎖領邦とみることは出来ない。
 
 以上の検討から、次の結論が導かれる。1400年以降バーゼル市はアムト単位の領域的統治を開始し、外部勢力の領主権、領主貴族の特権、アイヌンク団体などアムト内の様々な権利領域を残しつつも、16世紀初頭までには統治機構のネットを覆いかぶせる事に成功した。この過程で自律的な都市共同体は領域的統治にいち早く取り込まれ、アムト内の中間諸権力を抑制するための前線基地として重要な役割を担った。西南ドイツ都市と同様に域内の小都市を活用した点が、バーゼル市のアムト統治の特質であったといえる。