[第37回]
▽日時:2001年4月6日(土)14時10分〜18時05分
▽場所:日本女子大学 「百年館」7階 史学科マシン室1(教室番号717)
報告では,以上の経緯を念頭に,@1990年に至るまでの現代スイス経済の特質,A1990年代の「危機」の実態,B「危機」の要因,C「危機」に対する政策対応と「危機」の克服要因の分析をおこなった。主要な結論は以下である。
@ 現代スイス経済の特質。スイス経済は,a,歴史的先発性に基づく成熟した資本主義,b,
開かれた小国経済, c,活発な国際的企業活動の立地拠点,d, 自治主義的政治体制・社会構造の経済活動への浸透・反映といった特質を示す。国際収支構造,産業構造,多国籍企業化の現状,労働市場の性格,財政構造,金融市場の特質,公的セクターの規模,対EU政策をはじめとする経済外交のすべての面に,これらの特質が反映されている。
A 1990年代の「危機」。「危機」は,a,低成長,b,(スイスとしては)高い失業率,c,財政赤字の急速な拡大,d,
1990年代初頭のインフレーション,e.「産業空洞化」の進展による工業部門の縮小となって顕在化した。しかし他方では,この間,企業収益と株価は高水準で推移していた。また相対的高失業は,間接的には,労働人口の4分の1近くを占める外国人労働者が,在留許可条件の緩和の結果,それまで有していた雇用の調整弁としての機能を喪失したことによるものである。また直接的には,国内製造業での雇用縮小に起因する部分もあるものの,基本的には建設不況とスイスフラン高による低熟練部門の雇用縮小の帰結である。すなわち,失業増の要因はスイス市場の雇用創出力そのものの低下ではない。
B 危機の要因は,基本的には1980年代末の過度の金融緩和による「バブル」,すなわち過剰流動性の発生とその破裂であり,この点では日本の状況と酷似している。具体的には,不動産市場の加熱と建設業での過剰投資,その破綻と他部門への波及となって現象した。とはいえ,多国籍化した巨大銀行,州立銀行,地域・零細銀行の3つの柱から金融部門が構成され,不動産抵当融資が,公的信用を背景とする州立銀行によって専らなされていたスイスの場合には,金融機関が受けた打撃は相対的には軽微であって,金融メカニズムは健全さを保った。また経済活動の対外依存度の高さも,国内経済の落ち込みと,国内企業収益あるいは国内投資家の投資収益との連鎖を弱めた。国内経済を反映する不動産市場の沈滞と,世界市場の動向を反映する証券市場の活況は,その端的な表現である。
C 政策対応は,強い異論に遭遇しながらも,基本的にはa, 連邦政府の支出削減を基調とする財政改革,b,
各種の民営化策などの市場原理強化の諸政策の二つの方向で進められた。このうちaについては,政党間協議の枠を超えて円卓会議方式を導入するなど,スイス特有の政治構造を反映した合意形成手法がみられた。bについては,基本的には他の先進諸国と歩調を同じくするものの,速度は遅く,「危機」からの回復を主導したものとはみなしがたい。むしろ「危機」克服に直結したのは,資本市場における投資収益向上を求める圧力と,それに対応しての民間企業の主体的な体質強化策であった。後者は具体的には,不採算部門の切り捨て,国際的な企業合併,再編の推進による。それに対して,構造改革論が眼目とした国際競争力の弱体な国内産業部門での競争促進による立地競争力の改善は,遅々として進んでおらず,「危機」脱出の主要因とすることはできない。
以上のような曲折を経つつも,1999年以降,スイスの失業率は顕著に低下し,景気の回復にともなって連邦財政も好転した。事実上,スイスは1990年代の「危機」を克服したといえる。この過程で,民営化の動きがある程度進み,資本市場においてもアメリカ的な短期収益重視の姿勢が勢いを増したが,しかしそれは部分的な動きに過ぎず,長期雇用,長期収益の重視,安定的な企業間関係を特質とする経済的「スイス・モデル」は,いまなお堅持されていると見るべきであろう。また同時に,危機にあっても相対的に健全に保たれた財政規律の根底に,各地域の極めて強固な自己決定原則があることも強調されねばならないだろう。この両者は,スイスの歴史的発展過程に基底を置いており,その点で,1990年代のスイス経済の経緯は,むしろスイス経済の基本構造の通時的安定性を傍証するものであった。