[第38回]

「スイス憲法改革の新展開」

報告者 石橋 一紀


▽ 日時:2002年6月29日(土)14時〜
▽ 場所:日本女子大学 「百年館」7階 史学科マシン室1(教室番号717)



1、スイス連邦憲法改革の基本理念
NZZは、「1999年4月18日スイス連邦憲法」の発効にあたり、同憲法を、「刷新に向けた飛躍はないが、未来への強固な基盤となる」と論評した。それは、同憲法改革が、「追認改訂Nachfuhung」という性格づけのもとで、その射程範囲に制約を課せられていたこと、その一方で、「国民の権利改革」、「連邦司法改革」、「財政改革」および「国家指導改革」など、将来に向けた多面的かつ広範な憲法改革の可能性を同時に内包させていたこと、を的確に表現するものであった。その意味において、スイス連邦憲法改革は、今なお「開かれたプロセス」の上にある。

2、スイス連邦憲法改革のこれまでの動向
(1) 新連邦憲法成立までに、すでに§119の2(移植医療)の追加および§175BC(連邦参事会の構成と選任)が修正追加されていた。とりわけ、後者は、「カントン条項」の削除を伴うものであり、伝統的なスイス政治原理のひとつである連邦主義への修正を意味する。
(2) 2000年1月1日以降の主要改革
@)司法改革
1999年追認憲法を「ユニットシステム」とみなし、これに対する組み換え可能な「モジュール」として、一括改革法案の形で提起されたのが「司法改革」である。詳しくは、拙稿「スイス『司法改革』の行方」(森田編「岐路に立つスイス」刀水書房、2001年)を参照されたい。
A)司教区条項の削除 §72 (2001.06.10)
「文化闘争」以来の規定である同条項は、信教の自由および平等原則に抵触するとして、削除された。同条項を維持しようとすれば、欧州人権条約EMRKないし国際人権条約との衝突は避けられず、国際法遵守規定との整合性の点からも、見直しが求められていたものであった。
B) 国家財政改革 §126、§159、経過規定§196の12 (2001.12.02)
C) 国連加盟 §197の1 (2002.03.03)
スイスの国連加盟およびEUへの参加を求める動きは、1980年代以降連綿と続いてきた。しかし、それらはことごとく、国民投票の場で否決された(たとえば’86年国連加盟案件、’90年代の「欧州経済地域EWR」条約案件、「PKO武装法」案件など:ちなみに「PKO武装法」は2001年6月10日任意的国民投票により可決、成立した)。国連加盟は、スイスにおける事実上の政治原則とみなされてきた「中立主義」に修正を求めるものである。なお、その際に留意すべきは、憲法改正の新手法として、憲法本文への新規定追加という形式ではなく、経過規定の中に国連加盟条項が追加された点である。この手法の法的な性格、効果については、さらなる検討が必要であろう。

3、国家指導改革の現在
(1)連邦の政府組織は、7名の閣僚が相互に対等な同僚体として決定にあたる(BV175条1項、177条1項)いわゆる「同僚制(Kollegialsystem)」を採用している。それと並んで、肥大化した連邦行政任務を、効率的かつ自律的に処理するために、「部門制(Departmental- system)」が、その組織原理として導入されている(BV177条2項、3項および178条)。部門制原理にしたがい、連邦参事会の事務は、各省を指揮する個々の閣僚に配分される。閣僚の中から1年間の任期で選任される連邦大統領も、他の閣僚と同じく、いずれかの省を担当する。連邦大統領は、参事会の議長職を掌理するほか、同僚体における形式的職務を執る以外には、何ら特別な権限も有していない。
(2)現在、連邦に特有のこうした複合的統治・行政システムには、さまざまのメリットとデメリットが交錯している。
 Kloti教授は、「それが正しく機能しているかぎり」という条件の下に、同僚制が「協調のための決定的なフォーラム」となりうるという。つまり、異質性の高い社会(hetero-generous society)においては、特定の個人ないし集団への権力の集中を回避することが最重要であるが、同僚制は、多元主義を制度的に保障する機能を営みうる点において評価できる、というのである(Kloti, S.27)。また、対話や意見聴取手続をつうじて、政党・利益団体および各カントン間での妥協が得られがたい場合においても、同僚制政府は、それらの諸意見を評価しつつ、自律的に合意の道を模索することができる、とされる。
 その反面、長時間を必要とする合意過程それ自体が、統治・行政任務を停滞させる危険性をもつこと、また、同僚体内部での権力の相互抑制が、迅速な意思決定過程への障害となっていることなどが、そのデメリットとして指摘される。
一方、部門制原理は、各閣僚への権限の水平的配分を意味するだけでなく、肥大化した各行政分野の任務を下部の行政単位へ委譲させることによって、権限の垂直的配分をももたらしている。さらに、統治・行政の官僚主義化は、同僚体としての意思形成の前提として、まず部門内部の交渉手続を、ついで部門間の交渉手続を要求するようになった。このこともまた、統治・行政領域から迅速性と創意性を奪う要因のひとつになっている。
(3)政府システムに内在する右のような問題点は、M.Imbodenの『スイスの憂鬱』(1964年)を嚆矢として、早くから繰り返し指摘されてきた。これに対応して、連邦政府内部でも、連邦憲法の全面改革を視野に入れた作業部会、次いで専門家委員会が設置されたのを皮切りに、1977年連邦憲法草案をはじめとする改革案が、次々と提起されるようになった。
 憲法全面改正の動きが本格化した1990年代、それまで抜本的な政府改革を主張してきたR.Germann教授の論文集『Staatsreform』(1994年)が公刊された。彼は、その中で、与野党の明確な分離とそれに基づく政権交代可能な二大政党制の確立を求めた(Germann, S.17)。そこでの彼の主張は、「合意デモクラシー」から「競争デモクラシー」の転換を求めるものであり(Germann, S.129ff)、したがって―必ずしも彼自身は明示しているわけではないが―実質的には議院内閣制への移行を促すものとなっている。
(4)これに対し、新連邦憲法とはいったん切り離されて、開かれた憲法改革の一環に位置づけられた国家指導「改革一括法案」の行方はどうなっているのか。
 EJPDは、さまざまの「議会の攻勢」を受けて、1998年11月11日に「国家指導改革」意見聴取案を提出した。その中で、EJPDは、いわゆる「AGFB中間報告書」(1991年11月23日)に示されていた5つ(さらに1996年に1モデルを追加)の政府モデルのうち、議院内閣制モデルと大統領制モデルを排除し、選択可能な政府モデルとして@「大統領権限の強化+連邦閣僚増員」モデル、A「2段階政府」モデルおよびB「大統領府中心の集権的合議政府」モデルを残した。連邦参事会は、この意見聴取結果の評価に基づき、最終的にAモデルを連邦政府の将来構想として確定させた。
 2001年1月17日、EJPDは、Aモデルを発展させた「重環型政府(2-Kreise-Regierung)」構想を発表した。それによると、
(@)総体としての連邦政府は、同僚体たる連邦参事会閣僚と各省の長官に当たる大臣(Minister/innen)によって構成される。
(A)例府内環部は、連邦参事会閣僚のみで構成され、政治的全責任を負う。外環部は部門別に政治的協働責任を負う大臣によって構成される。
(B)原則的に、各閣僚の下に1名の大臣が置かれる。重要な連邦分野については、例外的に2名の大臣をおくことができる。連邦政府の全構成員の総数は15名から20名とする。
(C)政府内会議には、閣僚のみで行われる閣議と大臣も参加する拡大閣議が想定されるが、拡大閣議にあっても、大臣は出席・発言権を有するのみで、表決権は閣僚のみが有する。
(D)大臣は、連邦議会の承認の下に、連邦参事会が選任する。
 なお、これまでの展開を見るかぎり、新連邦憲法施行後、「国家指導部」改革の射程範囲は、議会―政府関係の抜本的見直しから、たんなる「政府」改革へと縮小し、その中身も、かなりトーン・ダウンしている、といわれる。確かに、開かれた憲法改革のレベルでは、そのような評価も甘受せざるを得ないが、法律レベルでの「議会改革」―しかも新連邦憲法の具体化という意味で―とも結びついて、今後の議会‐連邦関係に大きな変革がもたらされる可能性は、いまだ失われていない。

おわりに
現在もなお開かれた憲法改革の最中にあるスイス連邦の統治システムの行方を追うことは、容易なことではない。しかし、追認改訂された新連邦憲法の規定ですら、その現実態から見れば「アナクロニズム」といわれるほどに、現在の連邦統治システムの性格が、理念型としての「議会統治制」から大きく隔たっていることだけは確かである。その意味で、スイスの統治システムをモデル化するとすれば、そうした「議会統治制」とは別の「協調的権力モデル」(Rhinow)として描き出されるべきである。そこでは「国民→議会(決定)→政府(執行)」という落水構造が変容を受け、議会(より正確には「可変的に形成される議会多数派」)と政府が協働して統治し、国民がレフェレンダムをつうじてこれをコントロールする、という「統治―コントロール」図式が妥当する。
最後に、近時わが国の憲法学においても、「統治―コントロール」図式を提示し、落水型統治構造の枠組みを超えて、政府+議会多数派(与党)と議会少数派(野党)との対決構図を描き出す主張がある。ここでもやはり、野党によるコントロール手段とその実効性の如何が問題となる。
戦後、長期にわたって政権を維持してきた政党は、しばしば「派閥の寄り合い」と呼ばれ、各派閥に一定の割合で閣僚ポストを配分する慣行が続いてきた。政党内部で―ときに「政権のたらい回し」と揶揄されつつ―擬似政権交代が行われるさまは、「魔法の公式」が、この国にも存在しているかのごとくである。その一方で、政党の「総保守化」が進行していると言われる現在、野党による「議会の攻勢」も、必ずしも十分に機能しているとは言いがたい状況にある。この国のそうした政治的文脈の中で、「行政までの民主主義」ないし「非媒介的民主政」のあり方が問われている。そうだとすれば、この国の統治システムを、スイス連邦における憲法改革の視点からあらためて照射する意義が、今日、ますます高まってきているように思える。この問題については、今後の課題としたい。
(文責:石橋 一紀)