[第62回]
▽日時:2008年7月12日(土)14時〜18時
▽場所:日本女子大学「百年館」3階 302会議室
スイスという特殊な連邦国家において、果たして近現代美術史は成立可能か否か。本発表の目的はこの問いに明白な答えを出すことではなく、むしろこの問いへのアプローチをさまざまな角度から試みることで、スイスにおける美術の状況、すなわち核となるもの(都市、美術館、人物、様式等)が不在のまま展開し続ける特異な状況をあぶりだすことにあった。以下、発表の内容に沿って報告する。
1. スイス美術史へのアプローチ
2007年から2008年にかけて日本で開催されたアルベール・アンカー(1831‐1910)の回顧展を手がかりとする。スイスの国民的画家とも称されるアンカーだが、その所以はその絵画様式よりもむしろ描かれた内容にある。パリで研鑽した技術をもって描かれたのは、アンカーが生まれ育った中央スイスの農村の様子であった。典型的なスイスの情景を描きながらも、その様式は通事的にも共時的にもスイス国内の美術と連関させにくい。そうであるにも関わらずアンカーが「国民的画家」であるということは、スイスにおいて美術史という大きな物語が不在であること示唆している。
2. スイス近代美術史 「山岳絵画」を中心に
今日スイスと呼ばれている場所では、16世紀頃までプロテスタンティズムの影響下にあったため、イタリアと国境を接しながらもルネサンスの恩恵をほとんど受けてこなかった。しかし18世紀に入り、アルプス登山によって「山の発見」が進むとともに、「山岳絵画」という独自のジャンルが登場する。山を遠景から描くのではなく、登山家と共に山に分け入って描いたことが特徴のひとつである。18世紀にカスパー・ヴォルフが先鞭をつけ、19世紀はじめにはアレクサンドル・カラムとフランソワ・ディデーがその中心的存在となるが、20世紀にはスイスにもモダニズムの波が押し寄せ、「山岳絵画」は自然消滅していく。
3. 美術にまつわる制度
美術館・市場・大学を取り上げた。スイスには、美術作品のみを扱う国立のミュージアムはない。国よりもカントン、あるいは財力のある個人によって創立・運営されてきたというのが、スイスの美術館の特徴のひとつである(バーゼル市立美術館など)。また作品を販売する画廊の登場は、20世紀に入ってからと近隣諸国に比べて遅いが、現在はバーゼルで開催されるアートフェアが現代美術市場の規模としては世界一であり、世界の現代美術市場を牽引する立場にもある。大学での美術史についてはバーゼル大学を中心に、今日の美術史の様式論の基礎ともいうべきものがうち立てられた。しかし、スイス国内の美術史についての研究はここでも推進されていない。
4. スイスの中の非スイス
スイスにおいて重要な文化的節目は、時としてスイス国民の預り知らないところで現れ、またスイス以外の場所と緊密なかかわりと持っている。たとえばチューリッヒで起こったダダイズムは、20世紀の西洋美術において決定的な事件であった。しかし、それはパリやベルリンといった都市と密接に関わったものの、中心となったトリスタン・ツァラがチューリッヒを去るやその火は消えた。また、アスコーナには菜食主義者たちによるコロニーが建設され芸術家たちが多く出入りしたが、これを築いた人々はミュンヘンを中心とするドイツなどの近隣諸国からの移植者であった。このため、移植者たちが去った今日となっては、直接的に残されたものはなきに等しい。
5. スイス20世紀美術史
20世紀以降に活躍したスイス出身の作家は多いが、その舞台は、ほとんどスイスではない(アルベルト・ジャコメッティ、パウル・クレー、ジャン・ティンゲリー、ダニエル・スポエリなど)。現代においても、中心都市はチューリッヒかバーゼルかジュネーヴか、そのどれでもあるしどれでもないような状況が続いている。今日スイス連邦と呼ばれる場所の美術にまつわる現象の特徴は、「中心の不在」という言葉で端的に指摘することができる。中心となる都市、美術館、人物、様式など、核となるべきものの不在のうちで生じる出来事を繋ぎ合わせる軸を無理やり見出すのではなく、むしろその分断を精査することが肝要となろう。