[第76回]

生誕300年 ルソーとジュネーヴ

「ルソーにおけるローマの民会論とジュネーヴ共和国」

報告者 小林淑憲


▽日時:2012年3月3日(土)14時〜17時
▽場所:早稲田大学早稲田キャンパス(1号館2階、現代政治経済研究所会議室)



『社会契約論』第4編第4章「ローマの民会について」は,同書全48章の中で最も長い章であるにもかかわらず,ルソー研究史において全く無視されるか,その価値は非常に低く見積もられてきた。例えばヴォーンは第8章を除く第4編全体を『社会契約論』の「補遺」であると述べ,第4章そのものは「主題にほとんど関係ない」と解釈する。ドラテは第4編第4章から7章までは「公民宗教の章をそこに挿入できるように,ただ第4編の分量を多くする」ためだけに書き込まれたと述べている。また福田歓一も第4編の諸章は,国家の「正統性」を確保するための「手続き問題」として「精緻化」された章であるとして,その考察に多くの頁を割かなかった。

ローマの民会論について具体的に言及する研究はロネやフラリンのものに限られている。ロネはルソーがブルジョワジーに加担していると解釈し,フラリンはルソーの中立的立場を強調しながら穏健派ブルジョワジーを支持したとするが,報告者はローマの民会論が貴族とブルジョワジーのいずれかを問わずジュネーヴ人全体のための独自の改革案の一部をなしていると解釈する。

『社会契約論』第4編第4章から7章は,主として共和政ローマの政治制度に関する考察であり,とりわけローマの民会が参照されている。ルソーがここでローマの民会を参照したのは,彼がジュネーヴの現実の制度に直接言及するのを回避したことにあると考える。しかし,『社会契約論』におけるローマの民会論がジュネーヴに対する言及であることを示す直接的証拠は,同書には見いだされないため,報告者はその傍証として,まず『人間不平等起源論』の「献辞」を手がかりとした。ルソーは「献辞」において,ローマの平民会決議に言及し,これを否認した。つまり元老院の同意を得ることなしに民会の決議だけで有効な法律を制定できるとした制度である。ルソーがこの制度を否定していることから,報告者は,人民が発案して参事会や二百人会に通さずに直接総会に付託し,これを決議することで法律の正統性を確保しようとする一部のブルジョワジーのイデオロギーを批判しようとしていたのではないかと考える。ただし,そのことはルソーがジュネーヴ政府あるいは為政者たちを無批判に認めようとしたことを意味しない。

『社会契約論』における国家運営について為政者と人民とに期待されている役割は,「献辞」と比べて大きな違いはない。ルソーは社会契約によって設立された国家もやがては堕落し死滅すると考えているが,その原因は為政者だけでなく通常の公民による国家結合の弛緩である。そうした弛緩によって国家が解体することを防止する方法として参照されたのが,古代ローマの民会や護民府制度,独裁官,監察官制度などである。

ルソーは『社会契約論』第4編第4章において,クリア,トリブス,ケントゥリアの3つの民会の優劣を比較検討している。このうち下層民が過半数を占めるクリアは暴政を導くものとして最も厳しく批判される。トリブスに関してルソーは平民会決議によって立法を行っていたことの不当性を,「献辞」と同様に厳しく批判する。ルソーが最も高く評価したのは「貴族政」に「有利な」制度,すなわちケントゥリア民会であった。

ルソーは国家の政治が人民の意思にのみ基づいて運営されることを決して望んでいなかった。むしろ,為政者の熟慮に基づいた優れた判断を前提として,なおかつ人民の意思に期待しながら,国家全体にとっての善が実現されることを望んでいたと考えられる。『社会契約論』は単に現状を追認しようとして書かれたものではもちろんないが,いずれかの党派に与しようとして書かれたものでもなく,ルソーがいかなる干渉からも自由に理想を述べることでジュネーヴ共和国の永続化を願った作品と見るべきである。