[第78回]

「1893年のシェヒター禁止と動物保護協会:19世紀後半のスイスにおけるネーション形成の観点から」

報告者 穐山洋子


▽日時:2012年12月8日(土)14時〜17時
▽場所:國學院大学渋谷キャンパス(3号館4階、3406教室)



スイスでは、ドイツ語圏動物保護協会により提起された、ユダヤ教の屠殺方法であるシェヒターの禁止を要求するイニシアティヴ(国民発議)が、1893年の国民投票で承認され、シェヒター禁止が連邦憲法に規定された。従来の研究では、ほぼ一致して、その要因に当時特にドイツ語圏に広まっていた反ユダヤ主義の影響が指摘されている。この論拠は、シェヒターというユダヤ教の屠殺方法が禁止されたこと、さらにドイツ語圏カントンの圧倒的な賛成という投票結果によって裏付けられている。しかし、なぜシェヒターが19世紀半ばからスイスおいて繰り返し問題視され、憲法の解釈をめぐる議論にまで発展し、最終的にその禁止が国民投票で承認されたのか、という問いに対して、反ユダヤ主義の影響という論拠だけでは十分ではないだろう。当時の政治的、社会的状況やスイスの国家的特殊性も考慮に入れる必要がある。

多言語・多文化のスイスにおいても19世紀後半はナショナリズムの時代であった。この時代背景を考慮すると、動物保護協会のシェヒター禁止を求める運動は、自分たちにとって異質な文化(宗教行為)を排除することで、いうところの「スイスの文化」を守り、同質なネーションを求めるナショナリズム運動とも理解し得るのである。「同質なネーション」という概念は、多言語、多文化主義を標榜し、スイス国民でありたいという意志がネーションを形成する、とするスイスのネーション理解とは矛盾している。しかし、スイスネーションの特徴は、それが単純に言語や文化で規定できないため、「我々」と「他者」、「同胞」と「よそ者(敵)」、「同質」と「異質」の境界線によって決められ、その境界線の外に位置するとされたものを激しく排除する一方で、その内部の同質性ついては厳密に問うことない点である。動物保護協会は、シェヒターを異質の文化として排除することで、「スイス的な価値観や世界観」を確認し、その認識の共有を求めようとしていたのである。

19世紀半ばからユダヤ人の存在、解放、増加などを背景として、散発的、地域的に行われたシェヒター禁止の試みは、1880年代後半にドイツ語圏動物保護協会により、全国規模で展開された。運動の中心となったのは、ベルン、チューリヒ、アールガウの動物保護協会であった。最終的に、シェヒター禁止は、イニシアティヴ(国民発議)という直接民主主義的手段によってその是非が問われた。シェヒター禁止イニシアティヴは、各新聞で大きく取り上げられた。多くの新聞がシェヒター禁止に反対か中立の立場を表明したにもかかわらず、1893年の国民投票においてシェヒター禁止が可決され、連邦憲法に規定された。

動物保護協会は、活動目的が動物保護であったため、表面上は社交の場としての機能を持っていない。しかし、動物保護という共通の目的、特にシェヒター禁止という共通の目標を持った、本来は社会生活上多くの接点を持たない広義の市民層に属する会員同士が実際のコミュニケーションや議論を通じ、あるいは機関紙を通じて価値観を共有し、連帯感を深めていったのである。スイスではカントンの独立性が高くカントンを超えたつながりが成立しにくいと言われている。しかしシェヒターという彼らがいうところの「スイス文化とは相容れない文化」を排除するという共通の目的のもとに各地域の会員が交流を持ち、価値観を共有したのである。この意味において動物保護協会にもカントンを超えたナショナルな連帯感を強める機能があったと言えるだろう。

動物保護協会は決してナショナリズム運動を行っていた協会ではない。しかし、19世紀後半、近隣諸国での相次ぐ国民国家の成立への危機感、外国人、特に外国人労働者の増加による自国文化の消滅への危機感、経済危機をきっかけとする保守化傾向、カトリック保守との政治的な和解を通じた伝統回帰などの社会情勢を背景に、動物保護協会の運動もナショナルな傾向を帯びていたのである。そして、国民はシェヒター禁止に賛同することで、動物保護協会の主張を受入れたのである。つまり、シェヒター禁止を求める運動とその受容の背景には、純粋な動物保護思想、反ユダヤ主義、そしてナショナリズムの3つの要素が密接に関係していたと言えるのである。