[第79回]
▽日時:2013年6月29日(土)14時〜17時
▽場所:國學院大学渋谷キャンパス(若木タワー5階、0502教室)
スイスは1864年に、ヨーロッパ内陸国としては初めて幕府との修好通商条約を締結した。
日本との外交関係を築く上でイニシアティブを執り、使節団の主導役を務めた国会議員エメ・アンベールは、交渉を繰り返しながら10ヶ月もの長い期間日本で過ごした。アンベールが注目されたのは、その使命がスイス経済史上、大きな意味をもったためばかりではなく、幕末日本の文化と社会を記録し、丁寧に研究したためでもある。帰国後に出版された彼の旅行記『図解日本』は当時のヨーロッパで広く受容された。
本報告は、アンベールがとらえた幕末日本の社会体制を対象とし、アンベールと妻のマリーの間の文通を俎上に載せたものである。アンベールの日本観は、19世紀のオリエンタリズム論を、当時のスイスにおける政治的議論や変革の文脈に繋げることを目標としていた。リベラリスト、ブルジョワそしてプロテスタントとしてのアンベールの価値観が、その日本観にはっきりと投影されている。徳川幕府の支配下にある日本社会がヨーロッパ諸国の介入を受け入れ、封建制や僧侶の権力から解放されれば、日本は経済的に開花し、近代社会が生まれるだろうと、アンベールは楽観的だった。
このような日本観は、19世紀のリベラリズムの要にあった反カトリック主義、並びに経済的自由や知恵の普及の重視に基づいたものであろう。しかも、アンベールは日本における近代化への動きを観察し、1848年のスイス変革のパターンと似たような変動を期待したのではないかと考えられる。アンベールがヨーロッパの帝国主義的世界観を受け入れたことは当然ながら、日本の文化や生活様式に対する深い興味と理解は独特のものであった。植民地に食指を伸ばす野心のない内陸小国の代表者であったためか、アンベールは世界貿易の「民主化」を予言するにまで至ったことなどが、戦略的に特別だった彼の立場を表わしている。