[第83回]
▽日時:2015年7月11日(土)14時〜17時
▽場所:慶應義塾大学三田キャンパス(南館5階、ディスカッションルーム)
本報告は、1990年代に議論の本格化するスイス地方財政における政府間財政調整制度改革である「連邦とカントン間の財政調整と役割分担に関する新たな構築(Neugestaltung des Finanzausgleichs und der Aufgabenteilung zwischen Bund und Kantonen)」、通称NFAと呼ばれる政府間財政調整改革について、その意思決定過程の中でどのような制度構想の変質が起きたかについて財政史的考察を試みる事である。
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1990年代以前のスイス経済・財政は1%以下の水準の低い失業率、安定した経済成長、国際比較の中で一般政府支出GDP比での少なさを特徴としていた。しかし土地・住宅バブルの崩壊が契機となり1990年代初頭から経済成長の鈍化、失業率の高まり、失業保険の支出拡大に伴う福祉関連費の増大、連邦政府の債務残高拡大が引き起こされ、財政支出削減が目標化することとなる。
そして、この議論は政府間財政調整制度についても波及する。従来、連邦から州政府の移転は、およそ4分の3が特定補助金である「連邦補助金」により行われていた。この「連邦補助金」による最終的な移転総額はルール化されているわけではなく、カントンからの申請に基づき、連邦と州政府の交渉の場である「事前聴取制」のもとでの協議に委ねられている側面が大きかった。そのため、「事前聴取制」の個々の交渉に依存する、膨大・複雑な財政調整は20世紀末には国内で不透明、不効率、無駄、不公正との批判が国内で強まった(田口、2008)。 移転の簡素化と効率化を目標として「連邦とカントン間の財政調整と役割分担に関する新たな構築(Neugestaltung des Finanzausgleichs und der Aufgabenteilung zwischen Bund und Kantonen)」、通称「NFA」と呼ばれる政府間財政調整改革が1990年代より議論されるようになる。1990年代の全体的な新自由主義的・財政緊縮志向の改革への趨勢からは、この改革の帰結として、財源力の低いカントンへの補助の極端な削減、財政的弱体化、という結果も可能性としては考えられるだろう。にも関わらず、NFAに関する2004年の国民投票では、比較的財源力の低いカントンから支持を受ける形で採択されたのである。なぜ、このような結果に至ったのであろうか。この課題に対し、本研究では1996年以前と以後の政治的意思決定構造の違いに焦点をあてた。
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1996年までの議論の過程では、各カントンの財務大臣によって構成されるDie Finanzdirektorenkonferenz(カントン財務大臣委員会、以下FDK)と連邦財務省が中心手的な役割を占めていた。この過程は、1991年の連邦政府財務省のレポート、1992年のFDKのレポートに基づき分析されてきた。さらに、1994年に結成された執行委員会の調査の成果を受けて、1996年に連邦財務省とFDKが協同で66ページの提言書(Grundzuge,guidelines)が発表された。この提言書(Grundzuge,guidelines)発表の時点で初めて議論の具体化、数値化、個別政策化が進んだとされている。さらにこの段階まで、他の利益団体や憲法の専門家は、議論から切り離されていた。こうした財務省とFDKの密室的な意思決定の中で、効率化・簡素化が目標としての目標化し、垂直的財政調整の削減、補助金についての不正なインセンティブへの認識が固まった。
1996年までの過程で、FDKは連邦に対する各カントンの利益を代表する役割が期待されていたのだが、その点の実効性は疑問である。第一に、執行委員会もFDKからの代表者は4人のみであるが、彼ら4人によって実際26カントンすべての利害がどこまで反映されていたのかは不透明であるという事だ。第二に、カントンの財務大臣は一般補助金を志向したのに対し、むしろカントン内の他の部署(とその大臣)は特定補助金を志向した 。つまりカントン財務大臣が必ずしもそのカントン全体の利益を代表するわけではない。こうしたFDKの立場は「カントンの利益の代表者としてではなく、むしろ公共経済学(Public finance)の専門家として関与した」とされている。すなわち、FDKは、カントンの利害が集約したとみなすためのある種の「正当化の道具」としての役割を果たしていたともいえるのである。
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1997年以降の第一の大きな特徴として、150を超える団体との「事前聴取制度」 が二期に分けて行われ、多くのアクターが関与するようになったことである。これらは1999年の最終報告書 と2000年の「事前聴取制」のレポート としてまとめられた。さらに、個別政策領域におけるカントン間協議会の活動が強化され、この「事前聴取制」の中で強く機能した。高齢者福祉団体Pro Senectute 、自然保護団体のSGU 、スイス住宅組合(Heimverband Schweiz)、SRK(スイス赤十字)、社会教育団体のSLDF、SSRV(高齢者住宅委員会)、Spitex verband(spital- und heimexterne Gesundheits- und Krankenpflege und Hilfe(病院外、療養所外での看護と介護委員会)) などが、NFAに伴う公的サービスの供給の最低水準の低下への懸念を表明し、Pro Senectute、障がい児教育団体EKFF:最低水準の保障が適切な組織によってなされるべきとして、「連邦主義」の章ではほぼ全ての非公式団体が公的サービスの水準を焦点化した。これは連邦政府財務省の認識に一定の影響を与えた。
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第二の特徴として、FDKからKdK(Konferenz der Kantonsregierunge, the Conference of Cantonal Governments、CCGとも略される)と呼ばれる、別のカントン政府間協議会に、カントンの利益を代表する中心的なアクターが変化したことがある。このKdKはFDKと政治的なスタンスを異にしていた。事前聴取制レポートの中から確認できる議論の傾向として、NFAの中でも、とりわけ「負担調整」という制度 をめぐる各カントンの利害は、都市型のカントンと地方型のカントンの間で政治的に対立していた。そしてNFAの当初の「簡素化」という目的に反して、各州政府は自らの補てん額が上昇するような負担の計算式を構成する要素の多面化を要求した。こうした対立の中にあって、KdKのはカントンの利害の仲裁者として重要であるが、そのKdKは「現行のモデルによれば、実質的に都市部のカントンのみが補填をもらいうけるということは問題であるとわかっている」などとした意見を表明した。さらにKdKは「連邦主義」、「補完性原理と任務の分配」、「任務の簡素化」、「カントン間協同事務」、「カントン間枠組み協定」、「カントン間協同事務の民主的な規定」、「市と基礎自治体の立場」、「財源指数の指標」などの項目でも、極めて財源力の弱いカントンであるJuraと足並みを揃えていたのである。
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1996年以降は、KdKや、「事前聴取制」の中での個別政策分野での協議会、基礎自治体の協議会、あるいは議会という多様なチャンネルを介した政治的プレッシャーの中での意思決定がなされた。先行研究では、NFAへ反対するアクターは部分的であったという事前聴取制の中での議論の総括している。しかし、そうではなく、多くのアクターは制度全体としては合意しながらも、部分的な修正を要求することで自身の利益の保証を主張した。またその主張を担保するような政治的な影響力も機能していた。一面では、指標の多面化と交渉の余地の温存は、NFAの「簡素性」という当初の目標からの乖離ともいえる。ただ、こうした合意形成を要する構造が、上位政府からの不十分な補助という結果に至るのを防ぐ方向に働いたといえる。
※要旨の作成にあたり多くの点を省略したため、2015年10月11日段階でのレジュメ、及び論文草稿を以下で公開しています。
レジュメ
論文草稿